ちぼりのはじまり 創業者「樋口 泉」と社是・社訓の由来

ちぼりのはじまり~ 創業者 「樋口 泉」と社是・社訓の由来について~

社是 
『おいしいお菓子で みんなのしあわせを創ります。』

※社是の「みんな」とは大きく三方の皆さまを表しています。

  • 社員とそのご家族
  • お買上げ頂くお客様、お召し上がり頂くお客様
  • お取引先様や地元の方、お世話になっている全ての方

樋口泉の生まれ

両親亡きあと、義姉と写る11歳の泉

樋口泉(いずみ)は、大正3年、山梨県中巨摩郡玉幡村(旧玉川村 現・甲斐市玉川)にて、同村村長を務める父繁太郎と母せいの八男として生まれます。また多忙な父に代わり、幼い泉を強く躾けた祖父助左衛門徳義(のりよし)は、武田浪人とされる彼の地の郷士で〝玉川村のごろうにんさん〟と慕われ、幕末には名主を務めた人でした。

泉は当初、そうした旧家の恵まれた環境に育ちましたが、ほどなく祖父、両親ともに他界、さらに同村小作争議(大正14年)の長引く影響で一家が没落。残された祖母の実家で幼少期を過ごすことを余儀なくされます。

幼少期を過ごした玉川の祖母の屋敷
 ※旧長谷川家 ほうとう小作玉川店
 として現存
父・繁太郎

創業のきっかけ

両親、特に大好きだった母を失った悲しみの中、その頃、泉はお寺の供菓子を見て「いつか、おいしいお菓子をお腹いっぱい食べてみたい」と話す村の娘さん、おカヨちゃんとおハナちゃんに出会います。毎日、日が暮れるまで一緒に遊んだ幼友達。しかしある日、奉公に出ると別れたきり、二人は村に戻りませんでした。

そして、二人を想い、いつも一緒に遊んだお寺の石段に腰かけて涙する中、泉は、ふと二人が「いつか、おいしいお菓子をお腹いっぱい食べてみたい」話していたことを思い出します。そして、自分が大きくなったら「世の中の誰もがおいしいお菓子をお腹いっぱい食べられる時代をつくろう」と幼心に誓います。

泉が、村の娘さん達と遊んだ玉川のお寺(瑞良寺 両親の墓前)

和泉製菓からちぼりへ

その後、起業の志を胸に17歳で玉川を後に上京した泉は“せんどん”の愛称で、幾つかの事業に学ぶ中、第二次大戦の3度の召集を経て、昭和21年、現在のちぼりホールディングスの前身となる和泉製菓を山梨県甲府市に設立。キャラメルやアイスに代表されるウィンナブランドの隆盛で東証・名証2部上場。しかしその後、やむを得ぬ当時の事業環境から鐘紡ハリス社との企業合併を経験します。

若き日「せんどん」時代の泉(後列左から2人目)
和泉製菓の正月(甲府工場にて)

しかし事業欲はなお旺盛で、残留を希望する少数の社員らと共に唯一、存続させた関係会社を新たな拠点とし、本社機構の一部を当時の豊島区池袋から神奈川県湯河原町に移します。そしてこの年、昭和43年が当地における現在の株式会社ちぼりホールディングスのはじまりとなります。

泉の生家 社員道徳から社是へ

大正期の以前、泉が育った生家の家風は代々の在野にも関わらず、学問・武術・芸術を奨励しとても開花的でした。その理由の一つに、江戸中期の儒学者で、後に吉田松陰ら維新の志士の大きな影響となった山縣大弐(通称:だいに)を外戚として輩出した一家の誇りがありました。一家の誰もがごく身近に語り継いだ「だいにさん」。

山縣神社(甲斐市篠原)
山縣大弐像

彼が唱えた〝四民平等〟すなわち「身分は階級でなく職務上の役割分担」とした人間尊重の教えは創業当時、社員道徳の基礎とされました。そして、「世の中の誰もが、おいしいお菓子をお腹いっぱい食べられる時代を創ろう」と幼心に誓った泉の想いと相まって、現在のちぼりの社是の背景として受け継がれます。

社是 おいしいお菓子で、 みんなのしあわせを創ります

最後に…… 創業の原点を社員一同、末代まで

最後に……
泉は、ふるさと玉川(現:甲斐市玉川)をとても愛していました。しかし、一家没落のかの地に、生涯戻ることはありませんでした。
生前、泉は、ふるさとへの想いを「玉川庭園」として当社敷地内に残しています。

玉川庭園(山梨支社敷地内)

創業70年を迎えた平成28年、ちぼりは、そうした創業者の想いを大切に、グループを象徴するブランドの一つで、晩年の泉が自ら設立した「ちぼりチボン」のロゴマーク を新たにしました。

母せい肖像画
富士の見える玉川の風景

そして、最後まで戻ることの叶わなかった創業のふるさと〝富士の見える玉川の大地〟と、その風景を包み込む〝やさしかった母〟を表すことで、〝泉とふるさと〟を一つとし、ちぼりグループ創業の原点を、ここに新たに社員一同、末代まで引き継ぐものとしました。

社訓 ~創業者訓示より~